チケットを片手にタラップを上る。
天気も良いし、まだ霧の発生する心配はない。殆どの乗客は進行方向に近いデッキの手擦りに鈴なりだった。
ちょっと考えて、船尾へ向かう。
離陸した船は徐々に高度を上げ、やがて雲の上を滑り出した。
遊 覧 飛 行 船
木製のデッキは歩くたびに軋んで、演出だと解っていても少し怖い。
この航路を選んだ理由は、高度がそれほど高くなかったから。
今日、この時刻のこの船に乗れるのなら、他はどうでも良かった。
だって私は遊覧がしたい訳ではないから。
船尾に人は疎ら。
行き過ぎる景色を見たいとは思わないのだろうか。
泡立つ波の軌跡を眺めるのも悪くない。
スクリューに掻き乱された雲が散れて、風に乗って浮き上がる。手元までは届かないのを承知で指を伸ばしてみる。
指に当たる風の感触。
遠くの雲海の水平線を、乱れた綿のような雲が凄い勢いで流れていくのが、船からでも良く解った。
向こうとこちらの雲の流れが違う。
低気圧が近づいてきているのだ。
だから大気中に水分が多い。
でなければ、困る。
太陽は、進行方向にある。
私はまた船尾の下を覗き込んだ。
――見えた。
下の方の雲に、七色の光が孤を結ぶ。
角度にもよるが、空から見る虹は真円だ。
その中央に船の影。
待ちに待った瞬間。
私は手擦りの一番下の桟に足をかける。
衣服や髪が風に煽られる。
「何処に行かれる?」
ぎくりと私は振り返る。話し掛けてきたのは、乗務員の制服を着た男だった。いつの間に背後に回られたのか気づかなかった。
「任期は終えられてないようだが?」
次に会う時には忘れていそうな、ごく平凡な顔。そうでなければ監察官など務まらない。
「任務放棄が露見すれば帰還はもっと遅れる」
「戻りたいの」
「手摺りから離れて、こちらへ来なさい」
彼の言葉に容赦はない。今逃げても、きっと潜った途端に”ゲート”で捕捉される。彼がここにいる時点で連絡済みだろうから。
ああ、私はまた帰れなかった。
――聞きたくなかったアナウンスが聞こえる。
「本日はご利用ありがとうございました。当船はまもなく帰港致します。どなた様もお忘れ物をなさいませんよう…」
次の方法を探さなくては。